人は、あの世から親を決め、目的を持って生まれて来ます。あの世ではテレパシーで、以心伝心だった世界から、今度は地球上で、時間と物理的法則に制約を受けた世界になるわけです。肉体という着ぐるみ、地球服を着て、言葉を覚えていかなければならないのです。
そこから始まり、人生の喜怒哀楽を体験して、時に使命に目覚め、果敢にチャレンジしてこの世の人生を生きて行きます。ある程度の年月を送り、肉体も役立たなくなったり、役目も終わると、もう一度あの世に戻るのです。
この時に、どのような言葉がふさわしいのかを考えてみました。
私は「今まで、ありがとうございました。お疲れ様でした。行ってらっしゃい。」がしっくりくるなと思っています。
身内や知人が亡くなると、とても悲しいものです。葬式の場では、故人を偲び、また、残されて悲しみに沈んでいる家族に共感してしんみりとした雰囲気です。
しかし、亡くなられた本人の立場は違うでしょう。見えないけれども、まだ空間に漂っていて見聞きしているでしょう。ですから、「ありがとう。お疲れ様。楽しんだね。行ってらっしゃい。」だと思うのですが、どう思いますか。
今回、真弓小児科医院院長の真弓定夫院長の記憶に残る葬儀のお話しをご紹介します。
真弓先生の人生の師でありチェロの師でもある佐藤良雄先生の葬儀のときのお話しです。複数の方が奥様に挨拶されていたのですが、それが何と「おめでとうございます」です。それに対して奥様が「ありがとうございます」と笑みをたたえて答えられるのです。そこに何の違和感も感じられないことに驚かされたとのことです。
また、尺八の山下無風師のお別れ会の弔辞の結びでは「行ってらっしゃい」と自然なものだったとのことです。
人は自然に生き、そして自然に死んで行きます。
生も死もともに天の配剤としてあるがままに受け止め、「日々是好日」の毎日を過ごすこと、それがそのまま本当の意味の長寿、つまり「超寿」につながっていくのではと真弓先生はおっしゃっています。
私も「いってらっしゃい」「行ってきます」と送られたいと思っています。
(参)「超」寿の条件