世の中で起きている争いを見てみると、「お前が悪い」とお互いに譲らずに争いになっています。そこには、「自分が正しい」という思いがあるからです。
お互い「自分が正しい」「お前は良くない」と正しさを主張してぶつかり合っているのです。
これは、今も続いているウクライナとロシアの関係やパレスチナとイスラエルの関係にも言えるのかも知れません。
どちらの主張が正しいのだろうかと、深く考えてしまうと、明らかにこちらの方が真っ当だということもあります。
しかし、そこではお互い相手を憎しみ合うことしかありません。
先日、学びました。「正論」の反対は「正論」だと。
ついつい私も、コロナ禍はDSの企てだと知り「ワクチンは危険だ」と、正論を主張し続けてしまっていました。
しかし、すでに打ってしまった人やそれによる副反応に苦しむ多くの方にはどう思われるのでしょう。そこには、明るさはありません。
実は、「せい論」には大きく4つあります。
縦軸の上部に「明るさ」と下部に「暗さ」、横軸の左側に「意識」と右側に「無意識」の十字を書いて4区分すると、まず、「自分は正しい」という正論。これは、明るくはありません。右下の「暗さ」と「無意識」の領域の「せい論」です。自分が正しい事ばかりを主張するだけです。無意識に思っているので、相手を攻撃していることに気づきもしません。お互いぶつかり合うだけです。
次は、征服するの「征論」で、意識して相手に「征論」をぶつけて行きます。左下の「暗い」部位です。ただ、意識しているので、時に反省も出来ます。
次は、誠の「誠論」です。朗らかな明るさを伴う意見です。左上になります。相手を思いやる気持ちで意見をいうことになります。相手も攻撃されている気持ちが無くなり、明るくなります。人に意見を言うには、このような気持ちで伝えられれば良いですね。「何で理解してくれないんだ」と不快になることなく、むしろ、「まだまだ理解しにくいんだね。もっと、分かりやすく伝えてあげよう。気づいてくれれば嬉しいな」「笑顔になって欲しいな」というような感じでしょう。
そして、最後は聖人の「聖論」です。これは、もう笑うしかない。アホの境地だそうです。ここには達することが難しいので説明は出来ません。右上に位置し、本人も周りも笑顔で居るだけです。
このように分類してみると、自分の意見がどの部位に位置しているか分かって、反省も出来ますね。私も、このことを反省して、相手を明るくする伝え方を工夫していこうと思います。
言霊と言って、言葉には波動があり、発した本人と聞いている周りに影響を与えます。ですから、常に明るくする言葉を発して行きましょう。思いやりを持った言い方にしましょう。
「病は気から」とも言います。明るく笑顔で過ごすことは、病を遠ざけます。「笑う門には福来る」とも言いますが、常に明るく朗らかに過ごして行きましょう。